太陽王ルイ14世の生涯を名言と共にポップに仕上げてみた件

ネタ 雑記

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(ルーブル美術館蔵)

 

昔々、5歳にしてフランスの国王になった男がおったそうな。

 

彼は太陽王と呼ばれ、実に激しい人生を送ったそうだ。

 

今日は、彼の数奇な人生を、彼の名言と共にポップに語ろう。

 

ルイ14世の名言 

冒頭にもある通り、ルイ14世は5歳にしてフランスの国王になったのだが、5歳児に政治のことなど分かるはずがないので世話役であったマザランが面倒を見ながら国政を担うことに。

 

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出典:ルイ14世 (フランス王) – Wikipedia

ルイ14世「朕は国家なり」

 

 

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出典:ジュール・マザラン – Wikipedia

マザラン「ってオイオイオーーーイ!!!www

早すぎィ!その名言いうの早すぎィー!!www

 

マザラン「いいかいルイ14世、物事には順序ってのがあるんだ。

そのアグレッシブ過ぎる炎上不可避な名言はあと10数年経ったらにしようか。

5歳児がそんなこと言ってしまったらちょっと早めのフランス革命が前倒しで発生してしまうぞ、いいな?」

 

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出典:ルイ14世 (フランス王) – Wikipedia

ルイ14世「御意。」

 

 

そんなこんなでルイ14世は、フランスパン食べたり「アザブジュバン?」とか言ったり言わなかったり、まぁなんやかんや、わちゃわちゃしながら幼少期を過ごした。

 

1661年に世話役であったマザランが死ぬというミニイベントが発生した直後、いよいよルイ14世のターン。

 

独り立ちをするなり

 

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(ルーブル美術館蔵)

ルイ14世「よーしお前ら全員よく聞け。

今日から盛大に絶対王政ぶちかましてくから覚悟しとけよー。

全員俺の法に従い、俺の信じる宗教を信じろ。

あと本当は言ってないのに後々に勝手に名言扱いされるという世界史アルアルな名言があるから一応言っとくぞー。

朕は国家なり。

まじでどのタイミングで言うんだよって話だよな。

でもまぁそういうことなんで。

言うこと聞かないやつらはフランスパンでタコ殴りだからな。」

 

こんな感じで、数々の重要ポストの権力を低下させ、全権力を自分に集中させる見事なまでのジャイアンっぷりを発揮していた。

 

 

そしてイカれたジャイアニズムをいかんなく発揮し、王として20年くらいが過ぎた1682年、ルイ14世は生まれ育ったパリを離れ、ヴェルサイユにお引越しをしてきた。

 

なぜなら、ヴェルサイユにアレが完成したからだ。

 

朕は国家なり

 

 

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出典:ヴェルサイユ宮殿 – Wikipedia

 

 

なんということでしょう。

 

舗装すらされておらず、雑草が生い茂っていた単なる空き地に

 

匠、ルイ14世の権力を象徴するヴェルサイユ宮殿が完成しているではありませんか。

 

みんながくつろげる開放感たっぷりの庭園には、眩い光が差し込んでおります。

 

匠の手によって生まれ変わったヴェルサイユ。

 

ルイ14世はこの宮殿を使って一体何をしようというのでしょう?

 

 

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(ルーブル美術館蔵)

ルイ14世「独裁だゾ。」

 

 

で、ルイ14世はヴェルサイユ宮殿に引っ越しが完了したあたりから、それはそれはオラつきまくったそうな。

 

二人の女を和合させるより、むしろ全ヨーロッパを和合させることのほうが容易であろう。

 

 

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出典:ネーデルラント継承戦争 – Wikipedia

 

部下「ルイのものはルイのもの、スペインのものもルイのものでございますぞ。」

 

ルイ14世「だよなぁ?

戦争、やっちゃおうか?」

 

スペイン「ちょ、あのファンキー野郎、俺らの植民地に手ぇ出そうとしてやがるぞ!

植民地だけにミンチにしておしまい!!」

 

\ちょっとだけ領土ゲットだぜ/

 

 

ルイ14世「俺の信じる宗教を信じろって言ったのに、カトリックじゃなくてプロテスタントのやつらがまぁぁぁだいやがるな。

せや、プロテスタントのやつら全員弾圧したろ!」

 

 

オランダ「なんだアイツ、まじでいかれてやがる。

ちょっとプロテスタントの国同士で大同盟結成してぶっ潰そうぜ。」

 

イギリス・神聖ローマ帝国・ハプスブルク家・スペイン・スウェーデン・サヴォイア

イイネ!

 

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出典:大同盟戦争 – Wikipedia

 

ルイ14世「ちょwww

お前ら集まり過ぎだろwwww」

 

 

で、最終的に大部分の領土を返還したフランスは事実上の敗北ということに。

 

残念!

 

 

部下「スペインの王が死にそうらしいですぞ」

 

ルイ14世「死ねば?」

 

部下「で、なんと王位継承者がいないらしいのですぞ。」

 

ルイ14世「ファッ?!」

 

部下「ルイ様の奥様、たしかスペイン王のお姉さまでいらっしゃいましたよね?」

 

ルイ14世「ファーーーーwwwww

じゃあ俺の息子をスペイン王に推薦できるじゃん!!

そうなればスペインは俺の支配下も同然・・・フヒヒwww

笑いが止まらないでヤンスwwwww

 

 

イギリス「おい、あのヤンキーまた悪いこと考えてるぞ。」

 

オランダ「あぁ、このままルイ14世の息子がスペイン王になったらフランスとスペインが合体しちまうかもしんねぇな。

戦争だこりゃ。」

 

 

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出典:スペイン継承戦争 – Wikipedia

 

で、結果は

 

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息子「パパ、俺スペイン王になったよ。」

 

ルイ14世「おぉっ、かっこいいぞ息子よ!!」

 

 

なんやかんやでルイ14世の息子がスペイン王を継承することに各国が同意。

(ただしフランスとスペインの合体は禁止される。)

 

私は人々を楽しませようとした。人々は自分たちが好むものを王が好んでいるのを見ると、感動するものだ。これが時には褒美を与えるよりも人々の心をつかむ。

 

 

まぁこんな彼の名言から分かる通り、ヴェルサイユ宮殿ではありえないくらい豪華絢爛な生活を送っていた。

 

また、度重なる戦争で当然国の財政状況はカッツカツに。

 

もちろんフランス国民の怒りはボルテージ全開。

 

そんな矢先。

 

 

ルイ14世は1715年9月1日AM8:15にその生涯に幕を下ろした

 

72年間というフランス史上最も長い期間に渡り王座に君臨したルイ14世だが、案の定というべきか、全く国民の支持を得られていなかった彼の死を喜ぶ者たちが葬送のときに罵声を浴びせまくったとかなんとか。

 

 

国民「何が朕は国家なりだ、マーティ・フリードマンみてぇな髪型しやがって!!

 

 

王は国民の声に耳を傾けなきゃね。

 

-END-

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