ナポレオンという男は、フランス革命というフランス史上最大級のお祭り騒ぎが終わったあたりからスポットライトを浴び始めた男だ。
ナポレオンは、コルシカ島という貴族的に言えばとんでもないど田舎で生まれた田舎貴族出身なのだが、なぜそんな男が後世に語り継がれる英雄となり得たのだろう。
ちなみに、ナポレオンという男は自分を必要以上にブランディングする男なので、彼に関する偉人伝・エピソードは話半分に捉えるのが賢明と言えるゾ。
今日はそんな田舎出身で世界に名を轟かせた男の数奇な人生を、名言と共に追っていこう。
ナポレオンの名言
- 不可能と言う文字は愚か者の辞書にのみ存在する
- 兵士諸君、ピラミッドの頂から4000年の歴史が諸君を見ているのだ。
- 私はもはや、何人にも服従することはできない。命令の味を知ってしまったからだ。
- 真の征服、いかなる悔恨も伴わぬ征服とは、無知の征服だけであります。
- 偉大さが輝きを放つのは、回想においてか、想像においてのみである。
ナポレオンは、コルシカ島とかいうとんでもない田舎で生まれた。
※ただし、現在では地中海の絶景観光スポットとして人気を博している。
このコルシカ島というド田舎は元々イタリアの領土だったんだけど、ナポレオンが生まれるちょっと前にフランスに譲渡された。
だから、実家はいわゆる下級貴族だったんだけど、駆け込みでナポレオンはフランスの貴族御用達の学校に入学することが出来たんだね。
で、この学校でのナポレオンの有名なエピソードがある。
クラスで雪合戦をしたときに、見事な陣取り戦術で快勝をしたんだとか。
まぁ、これは「この頃から軍人としての才能が垣間見え」的な、伝説の軍人たらしめる脚色に過ぎないので、完全なる作り話と思っておいてOKだろう。
1789年、かの有名なフランス革命が勃発。
フランス革命下ではいろんな派閥が生まれるんだけど、細かい派閥を無視して、世界史の先生方にタコ殴りにされる覚悟で死ぬほどざっくり言うなら
王様派
そして
アンチ王様派
でのバトル構造がフランス革命なんだ。
で、ナポレオンはフランス革命が勃発したあたりで軍人の学校を卒業し、そんなに革命に興味はなかったがアンチ王様派の軍人になる。
ナポレオン「軍人の学校卒業したし、レールに乗って軍人になろ。
ちょうど革命起きてるし。
でも革命とか興味ねぇゾ。」
しかし政治体制にはそんなに興味がなかったナポレオンだけど、軍事に関しては興味があったのか、メキメキ軍事の才能は開花。
で、革命によって政府は転覆し、革命が終息に向かっている1790年代後半。
このあたりからナポレオンはアクセル全開で伝説の男へと向かっていくことになる。
不可能と言う文字は愚か者の辞書にのみ存在する
転覆後の新政府から、ボチボチ軍人として出世していたナポレオンは、若干26歳のくせに外国との戦争の指揮を任される。
新政府「ユー イタリアいっちゃいなヨ」
イタリア遠征ってやつだ。
んで、このイタリア遠征で、伝説の男の登竜門であるアルプスを超え、イタリア半島に乗り込んだナポレオン。
そう、アルプスを越え奇襲攻撃を仕掛けた伝説の戦術家、ハンニバルのようにね。
(この絵の左下にもハンニバル、カール大帝らの文字が刻まれているゾ。)
ただし、やっぱり盛り男ナポレオン。
実際にアルプス超えで使用したのはこの絵のようなイカした白馬ではなく、ラクダだったと言われている。
ナポレオンのセルフブランディングの一環なので気を付けよう。
ただし、盛り男ではあったのだが、軍人としての能力が飛びぬけていたのも事実。
このイタリア遠征で、2万5千人のフランス軍を引き連れたナポレオンは、7万人のオーストリア・サルデーニャ連合軍を軽くひねりつぶすことに。
で、この辺からフランスに対し危機感を募らせる国々が、イギリスの呼びかけにより同盟を組むことに。
イギリス「ちょっとフランスやべぇよ。
革命やらかしたり、ナポレオンとかいうカリスマいたり。
ちょっとここらで同盟組むやついねぇ?」
スペイン・オーストリア・プロイセン・サルデーニャetc
「賛成」
こうしてフランスの包囲網が出来上がる。
また、ナポレオンのイタリア遠征での大勝利により国内でナポレオンファンが大量に発生。
市民「いいぞーナポレオン!!」
そして勢いに乗るナポレオンは政府に
ナポレオン「エジプトとかもゲットしちゃいましょ」
と提言。
そして市民からの支持が高かったことを理解してた政府は
新政府「ユー やっちゃいなヨ」
ということであっさりエジプト遠征も了承される。
兵士諸君、ピラミッドの頂から4000年の歴史が諸君を見ているのだ。
ナポレオン「ヒーハー!!www」
しかし、エジプトで盛大に暴れていると、フランス本国で政府と市民がバチバチやってるとの報告を受けるナポレオン。
ナポレオン「よし、フランス戻ろ。
お前ら全員適当に戦っとけ!!」
兵士「ってオイオイオーーイ!!www」
こうして敵を目の前にして仲間だけ残し、政府には内緒でこっそりフランスに帰国。
ナチュラルに敵前逃亡罪をかます英雄ナポレオンであった。
私はもはや、何人にも服従することはできない。命令の味を知ってしまったからだ。
で、革命が終わって平穏にやっていたと思った新政府と市民が再びバチバチやっていることをいいことに、ナポレオンは
ナポレオン「革命終わって新政府が無事樹立されたけどさ。
今なんかまたワチャワチャしてきてるし。
クーデター起こして俺らで政権握っちゃおーぜwww」
クーデターを画策していたのだった。
そして、クーデターを成功させなきゃエジプトでの「敵前逃亡罪」及びクーデター画策の「国家反逆罪」に問われることがほぼ確実だという事実こそが、ナポレオンをハンパないくらいやる気にさせた。
そしてこのクーデターは見事に成功。
統領ナポレオン誕生である。
政権を握ったナポレオンがまず着手したのは、イギリスやオーストリアが結成したフランスの包囲網の解体だ。
イタリア遠征が大好きなナポレオンは、案の定大好きなアルプス越えをして奇襲攻撃、再びオーストリアをぼっこぼこに。
で、フランス包囲網の主要国だったオーストリアがフランスにごめんなさいしちゃったので、事実上フランスの包囲網は解体。
国外問題もアレなんだけど、フランス革命とかが起きたり自ら起こしたクーデターで国内はグチャグチ。
ということでナポレオンは国内にも精力を出す。
まずナポレオンがやったのはやったのは通貨の安定だ。
ナポレオン「中央銀行必要でしょ。」
(イギリスと異なりフランスはきちんとEUに加盟しているから影は薄いけど、一応フランス銀行自体は現在も存続しているゾ。)
で、その4年後にやったのは法整備だ。
ナポレオン「民法、必要でしょ?」
そう、我が国の旧民法も影響を受けたことで有名な通称ナポレオン法典だね。
しかし、これだけの大改革をやると、反対勢力が出てくるのが世の常だね。
反対勢力によるナポレオン暗殺未遂のテロ攻撃が激しさを増し、焦るナポレオン。
反対勢力がビビるくらいオラつかないとヤバイとナポレオンは思いはじめ、このあたりからアクセル全開で独裁体制へと進むことに。
で、ナポレオンは単なる政治の主導者であった統領という立場から、ついに国の王である皇帝へと究極進化を遂げる。
ナポレオン「皇帝さんだゾ。」
もうオラ付き放題ですよ。
通常皇帝になる場合は、ローマ教皇から冠を乗っけてもらうのが通例だったんだけど、戴冠式にローマ教皇呼んどいてナポレオンは自分でかぶっちゃうヤンキーっぷりを発揮。
ナポレオン「皇帝さんだゾ。」
ローマ教皇「ぐぬぬ・・・!」
で、もちろん自分の奥さんにも、自ら冠をかぶせちゃう始末。
ナポレオン「ウェーーイwww」
奥さん「皇妃さんだゾ。」
ローマ教皇「ぐぬぬ・・・!」
このあまりにもオラついたパフォーマンスは、教会は政治よりも下にあるんだぞというナポレオンのアピールだったとも言われている。
ちなみにベートーベンは「英雄」という曲を作り、統領時代までのナポレオンを称賛していたが、皇帝になるという知らせを聞いて「この俗物野郎が!」と言ってナポレオンへの献辞を書いた表紙を破り捨てたらしいゾ。
真の征服、いかなる悔恨も伴わぬ征服とは、無知の征服だけであります。
で、この皇帝ナポレオンの誕生に再び焦るイギリス。
再度フランス包囲網を結成することに。
これに怒ったナポレオンはヨーロッパの支配を決意。
イギリスに攻め込もうとして負けるという黒歴史はおいといて、アウステルリッツの戦いでオーストリア・ロシア連合軍をボコボコに、イエナの戦いでプロイセンをボコボコに。
この時点でナポレオンは散々フランス包囲網を呼びかけてきたイギリスに挑発をする。
ナポレオン「悪いなのび太。
この大陸、1人乗りなんだwwww」
イギリス「ぐぬぬ・・・!」
俗に言う大陸封鎖令だ。
で、さらポーランド方面にも出撃してロシアもボコボコにしたナポレオン。
ヨーロッパ大陸支配完了。
しかし、盛者必衰が世の常である。
大陸封鎖令をしいていたにも関わらず、ロシアがイギリスと貿易をやっていたことが発覚。
ナポレオン「あんにゃろ!ロシアに突撃すんぞ!」
で、40万という大軍を引き連れてロシアのモスクワへ向かうナポレオン。
しかしロシアはこの最強の軍隊相手にとんでもないトリッキーな作戦で迎え撃つ。
ナポレオン「オラオラオラ!!
攻めろ攻めろぉ!!!」
ロシア「くらえ!」
ナポレオン「ばかかあいつら!
自分で燃やしてどうする!!www」
ロシア「逃げろー!」
ナポレオン「待たんかコラァ!!」
ナポレオン「追え追えぇぇぇぇ!!!!」
ロシア「くらえ!」
ナポレオン「ばかかwwwww
なんでアイツら自分たちで燃やしまくってんだwww
きかねぇぞおい?!wwww」
ロシア「逃げろー!」
ナポレオン「逃げてばっかじゃねぇか!
追えーーー!!!!!」
これが、かの有名なモスクワ遠征におけるロシアの焦土作戦である。
この焦土作戦自体では、ナポレオン軍は全くダメージをおっていなかった。
しかし、この焦土作戦により戦争は長期化。
季節は冬に突入していた。
そう
極寒の地ロシアで冬を迎えてしまったのだ。
そう、秋にモスクワ突撃を開始したのでナポレオン一行は全員防寒着でも何でもない。
寒さに凍えるナポレオン軍は40万で突撃したにも関わらず38万人は餓死、凍死。
こうしてあえなくモスクワを退去するナポレオン一行。
真っ向勝負をしたらナポレオンに勝てないと踏んだロシアの作戦勝ちである。
で、この敗北を期にナポレオンはとんでもない勢いで没落していくことに。
偉大さが輝きを放つのは、回想においてか、想像においてのみである。
ナポレオンのヨーロッパ支配にいらついていたプロイセン・オーストリア・ロシア・スウェーデンが同盟を結成。
同盟国がパリに突撃をしかけてきてナポレオンはあっけなくひっとらえられる。
で、そのままナポレオンはエルバ島に島流しに。
めでたしめでたし。
と思いきや
ナポレオン「ウェーーイwwww」
ヨーロッパ各国「?!?ww!?!?!wwww」
なんとナポレオンはエルバ島を脱出して、パリに帰還してきやがったのだ。
で、帰還したナポレオンにヨーロッパ各国は慌てて、再度同盟を結成。
ワーテルローの戦いでナポレオンはかんぷなきまでにボコられ、案の定敗北。
今度はセントヘレナ島に流され、今度こそナポレオンはこの島で生涯を終えることに。
ナポレオン「バッキャロー!!!!!」
– END –
コメント
ばっきゃろー!(笑)
最後は殺されなかっただけ良い引退劇ですね。
>Lipper (id:lehmanpacker)
ほんとですねwwww